せめて、笑うことくらい

この記事には広告を含む場合があります。

記事内で紹介する商品を購入することで、当サイトに売り上げの一部が還元されることがあります。

私の年上の友人(女性)に、いつもすっごく幸せそうな人がいます。彼女はごくふつうの主婦で、高校生と大学生の2人のお嬢さんのママさん。私はちょくちょく彼女のブログを読ませてもらっているのですが、その日記からは、「毎日が幸せでたまらない!」というオーラがでていて、読んでいるこっちまでニコニコ笑顔になってしまうくらい。

でも、彼女の生活が「ラッキー&ハッピーのオンパレード」なのかというと、決してそんなことはなく、当たり前のように大変なこともあるし、深刻な悩みもある生活だと思います。
それにも関わらず、彼女の日記には、日常生活の中の確かな幸せが、きらきらと光りながら、たくさん散りばめられている…。

20年くらい連れ添っていらっしゃるであろう旦那さまと手をつないで、
お酒を飲みながらDVDで映画を見る時間を、至福だと感じている彼女。
天気のいい日にシーツをありったけ洗濯するのが大好きだという彼女。

ある日、私は彼女にこう言ってみたことがあります。
「○○さんって、いっつも何かにワクワクしてて、ほんとに幸せそうですね!」

そのとき彼女から返ってきた言葉に、私はハッとしました。


  「私、何もできないの。
  笑うことしかできない。
  でも、これが一番いいって今は思っている。。。 」

なんだか、心にズシーンと響きました。彼女は「笑うことしかできない」っていうけれど、「毎日笑って暮らせること」って、ほんとうにすばらしいことだと思います。
例えば、体の痛みに対する感受性は人によって違いますよね。痛みに我慢強い人と、弱い痛みでもほんとうにツライと感じる人がいる。同じように、「幸せに対する感受性」も人それぞれなんだろうな、と彼女を見ているとつくづく思います。

「自分の人生には幸せが少ない。」と不満に思うのなら、その運命を憂うのではなくて、自分自身の「幸せに対する感受性」に磨きをかけること必要なのかも。
もし、毎日の暮らしの中に、今よりも10個・・・いや、5個でも多く幸せを見つけることができたら、私も彼女のようにいつも笑って暮らせるようになるのかな?

「笑うことしかできない」という彼女。でも、忙しい日々の生活の中で、その「笑うこと」さえできていない人がどれだけいるだろう、と思います。(私も含めて。)
毎日騒ぎまわるおチビふたりに振り回されて、夜になるとグッタリした顔で夫の帰りを迎えてしまう私。でも、せめて、疲れて帰ってきた夫に笑うことくらい、してみよう。
彼女の言葉で、そう思った私でした。

hoshinopoujisama.jpg

「さっきのヒミツをいおうかね。なに、なんでもないことだよ。
心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。
かんじんなことは、目には見えないんだよ。」

「星の王子さま」 サン=テグジュぺリ作、内藤濯訳より)