いつもどおりに暮らすことは不謹慎じゃない

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ハクモクレン

今朝、次女を幼稚園まで送っていくときに通る公園で、ハクモクレンの花がほころびているのを見つけました。先月はまだ毛におおわれた固い冬芽だったのに、今は白い花びらが次々開こうとしています。どこからかホーホケキョという鶯のさえずりも聞こえてきて、「あぁ、春なんだなぁ」と感じました。

私たち人間が何をしていようと、何を感じていようと、花はほころぶし、鳥は鳴きます。
私が住んでいる愛知県では、地震の影響はほとんどなく、それまで通りの日常を送ることができています。でも、連日テレビやネットから流れてくる被災地の惨状を見ると、気持ちは落ち着かず、「こんなふうに普通に暮らしていていいのかな?」と思うこともあります。


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ここ数日、ネット上で「不謹慎」という言葉を多く目にします。曰く、「日本がこんなに大変なときなのに何を呑気なことを言ってるんだ。」、「よくこんなときに遊んでいられるね。」、「楽しいイベントは自粛すべきた。」、「電気が足りないのに、娯楽施設が営業しているなんてけしからん。」

気持ちはよくわかります。口に出して言うか言わないかは別にして、多かれ少なかれそういう気持ちを持っている人は多いと思います。私も、こういうブログで日々の暮らしのことや、お得な情報、食べておいしかったもの・使ってみてよかったもの(レビュー)などを書いていますが、被災地や、被災地でなくとも日常生活に不自由を強いられている方々を思うと、「そんなお気楽なことを書いていいんだろうか?」という思いが頭をよぎり、ここ数日、通常の(地震以外の)ブログ更新ができずにいました。

そんなモヤモヤした気持ちを抱えている人たちは、きっと少なくないのだと思います。
「普通に生活しちゃいけないの?」「地震のこと以外をブログに書くのは不謹慎なの?」

そんなとき、twitterのフォロワーさんのリツイート経由で、このブログ記事を読みました。

「『不謹慎』とは何か。」(おちまさとオフィシャルブログ)

「東日本大震災で「ユーモア」が許されないこの緊張状態は危険」‐岩崎聖侍

読み終えて、モヤモヤしていた気持ちに向き合うこと、それをふっきることができました。
岩崎さんが記事中に書いているように、今被災地から離れている私たちにできることは、

1.まずは節電
 2.できる限りの寄付
 3.しっかり仕事をする(日本経済を復活させる)
 4.未確認情報やネガティブな情報を拡散させない

だと思います。当たり前の生活を送れることに感謝こそすれ、罪悪感を感じる必要はないはず。(被災地の方々への配慮は大前提として。)

ひとりひとりが自分の持ち場で、いつもどおりに暮らすことが、大きな目で見ればベストなことだと感じます。被災地から離れた場所に住んでいる人々みんなが必要以上の「自粛」をしたら、日本経済がまわらなくなってしまいかねません。

おちまさとさんのブログに書かれていた以下の言葉に強く共感します。

慎まなければならない。全ては控えめにしなければならない。

本当にそう思う。しかし 停滞はできない。

働ける人間はトンネルの先を掘り続けなければならない。

だから、私も今日から普通にブログを書きたいと思います。仕事をしてお金を稼がなくては、税金だって払えないし、寄付だってできないのですから。

最後に、もうひとつtwitter経由で知って、考えさせられた記事を。読んでみてください。
被災者の役に立ちたいと考えている優しい若者たちへ~僕の浅はかな経験談~
“被災地のために何かをしたい、と感じている若い人達がたくさんいると思う。でも慌てないで欲しい。今、あなた方が現地で出来ることは、何一つ無い”

[参考] 「今の私にできることは、元気に暮らすこと」(藍玉ブログ)

【追記】
Kaboさんがこの記事を読んで思ったことをブログに書いてくださっています。
「いつもどおり暮らすことは不謹慎じゃない」を読んで

Kaboさんが感じていたことは、私も感じていたこと。きっと、ほかにもたくさんの方々がこういう気持ちを感じているんだと思います。Kaboさん、記事にしてくださってありがとうございました。