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暮らしとお金のことを長いことブログやサイトに書いている私ですが、最近よく考えます。それは、「身の丈に合った暮らし(分相応な暮らし)」をすることと、「自分を引き上げる暮らし(レベルアップさせる暮らし)」をすること。矛盾するかに見える両者ですが、どちらも「なるほど、確かに」と感じ部分があり、心が揺れます。
「身の丈に合った暮らし」は、収入の範囲内で無理なく暮らせる生活レベルをキープすること。(経済的な)余裕がなければ、新しい服は買わないし、旅行もガマンする暮らし。すごく健全で、控えめではあるけれど真っ当な雰囲気。しかし、あまり上昇志向は感じません。
「自分を引き上げる暮らし」は、多少無理しても、自分が価値ありと認めたことにはお金を使うこと。余裕がなくても新しいスーツを買い、その服に見合う自分になろうとすること。自分をレベルアップさせていくパワーを感じるけれど、場合によっては生活が立いかなくなることもあるかもしれません。
いうなれば、「守りの暮らし」と「攻めの暮らし」?
もくじ
暮らしの多様化、価値観の多様化
「身の丈に合った暮らしをし、贅沢は慎み、貯金に励むべし。」
文句のつけようのない言葉ですが、何となく、暮らしが多様化している今の時代には、やや画一的過ぎる言葉に感じます。自分の好きなことをお金に変えて、アクティブに暮らしている女性もたくさんいます。(テレビや雑誌に登場する一部の特別な人のことではくて、実際私の身のまわりにそういう方は何人もいます。)
そして、私自身、限られたお金をいかに使わずに暮らすか・・・ということよりも、限られたお金を有効に使いつつも、収入を増やす努力もしていきたいと思っています。
私はお得なこと・モノが大好きですが、それは「お金を使わずに済む」からというよりも、同じお金でより多くの体験ができたり、楽しみを感じたりすることができるからです。
ちょうど今日、別ブログに、昨年アメリカに親子ホームステイをしたときにかかった費用の記事をアップしました。リンク先をみていただければわかると思いますが、一般的にエージェント(留学業者など)を通していくことを思うと、かなり安いと思います。航空券も、友達から「夏休み中とは思えない値段だね」と驚かれるほど安かったです。
情報を集め工夫することで、1人分のお金で2人が旅行できたり、あるいは2年に1回の旅行が毎年の旅行になるから、私はそういう部分(アンテナを張って情報を集めること)で張り切ります。
とはいえ、5泊7日のアメリカ親子ホームステイの費用は、身の丈に合った支出かと言われれば、NOと言わざるを得ません。いくら安くても、ウン十万のお金が関わることです。極論すれば、ホームステイに行かなくても別に困るわけじゃありません。そのお金を定期預金にすることだってできたでしょう。
それでも、これは私にとって(あるいは私と子どもたちにとって)、価値ある投資であり、自分をひとつ上に引っ張り上げてくれる体験でした。ひとつの丘に登ったら、見える景色が変わります。経験値が上がります。
5泊7日の経験に対して支払ったお金は、5泊7日の期間に消費されてしまうものではなく、その後の私たちの人生に長く価値を与えてくれるものだと信じています。これはあくまで私が旅行という経験に重きを置いているからですが、その対象はもちろん人によって違うのが当たり前です。
いい車に乗ると、いい服を着ると、暮らしが変わる?
「ボロは着てても心は錦。」そんな言葉もあるように、着ているものがみすぼらしくても、内面が素晴らしい方はいます。ただ、現実問題、私たちは日々の暮らしの中で「第一印象」というものをけっこうアテにしてしまっています。
例えば子どもの幼稚園や小学校で知り合う同級生のママたち、あるいは習い事でよく顔を合わせる人たち、友人の友人・・・、「あの人に声をかけてみようかな。」と思うきっかけは、身なりであることが多いのではないでしょうか。顔の造作ではなくて、全体の雰囲気をみているんですよね。
年がら年中ヨレヨレの服を着ていることは、服飾費の節約にはなっているかもしれないけれど、もしかしたら誰かがあなたに出会うきっかけを失わせているかもしれません。私の知り合いは営業の仕事をしていますが、初めて会うお客さんの身なりによって態度を変えると言っていました。褒められたことではないかもしれませんが、正直なところかな、という気がします。
もちろん第一印象がイマイチでも、そこから話をして、お互いの人柄に惹かれあい、仲良くなることはあるでしょう。ただ、第一印象がイマイチすぎると、そもそものきっかけが減る可能性もあると思います。それはやっぱりもったいない。
そして、ちょっといいレストランや、オフィシャルな場所では、少し背伸びをして装うほうが、ゲストとして大切に扱ってもらえて、結局自分も心地よく過ごせることがあるのも事実。
いい車に乗ると、いい服を着ると、いい靴を履くと、人が自分を見る目が変わるだけなく、自分が自分を見る目も変わると思います。「このスーツが似合う人間になろう。」「この車のローンを返すために頑張って働くぞ!」そんな気持ちが沸き起こり、結果、自分をひとつ上のステージに引き上げることができるというのも理解できます。
意識のちょっとした変化が積み重なって、私たちの日常を大きく変えていくことはよくあることだからです。
どちらの暮らしもアリ。しなやかに暮らしたい。
けれど、毎月の可処分所得(自由に使えるお金)の大部分を車や服につぎ込んで、食生活がお粗末になったり、本を買うお金がなくなってしまっては、ほかの部分にしわ寄せが来るに違いありません。身の丈に合った暮らしも、自分を引き上げる暮らしも、どちらのメリットもデメリットもわかるだけに、私たちの気持ちは揺れ動きます。
一昔、ふた昔前であれば、もっと価値観はシンプルだったかもしれませんが、多様な暮らし方、多様な価値観が普通になってきているのでしょうね。
使わなすぎもダメ、使いすぎもダメ。抑えるとこは抑えるけれど、自分の価値観の許すモノにはちゃんとお金を使うこと。
支出を減らすだけでなく、収入を増やす方法も同時に考えること。
自分を引き上げてくれるモノ、自分の世界を広げてくれる経験に対して使うお金は、浪費ではなく投資だと考えること。自分のその選択に罪悪感を持たないこと。
身の丈も考えつつ、でも、自分を引き上げる(丘に登る)お金も惜しまないこと。
頑張ってお金を貯めて飛行機のビジネスクラスに乗ったり、高級ホテルに泊まる経験をしてみるのも、いい経験になるでしょう。でも、それと同時に安宿のドミトリーにも泊まったことがある人を、私は魅力的だと思います。ホテルのレストランにも行くけれど、屋台のラーメン屋さんにも行き、どちらでもその場に似合う人を格好いいなと思います。
私も日々揺れますが、バランスを取りながら、しなやかに暮らしていけたらと思います。
心の揺れも私の一部。受け止めて、進むべし。
【追記】お友達の梅さんが当記事の感想を投稿してくださいました。とっても素敵な記事なので、ぜひ読んでみてくださいね♪
梅さんの記事→ しなやかに暮らすためのヒントをお友達のブログからもらいました