『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』の感想。自分で誰かの靴を履いてみる、ってどういうこと?

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『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』

ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(ブレイディみかこ/著)を購入して読みました。Amazonなどネット書店の本の売れ筋ランキング上位を長くキープしていて、友人の口コミ評判も良かったので、気になっていた本です。

『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』を書いたのは、アイルランド人のパートナーと、中学生の息子さんと共にイギリスで暮らす、保育士でライターでコラムニストのブレイディみかこさん。

以下、新潮社の特設サイトより書籍の内容を引用します。

優等生の「ぼく」が通い始めたのは、人種も貧富もごちゃまぜのイカした「元・底辺中学校」だった。ただでさえ思春期ってやつなのに、毎日が事件の連続だ。人種差別丸出しの美少年、ジェンダーに悩むサッカー小僧。時には貧富の差でギスギスしたり、アイデンティティに悩んだり……。何が正しいのか。正しければ何でもいいのか。生きていくうえで本当に大切なことは何か。世界の縮図のような日常を、思春期真っ只中の息子と パンクな母ちゃんの著者は、ともに考え悩み乗り越えていく。

連載中から熱狂的な感想が飛び交った、私的で普遍的な「親子の成長物語」。

新潮社 特設サイトより引用

この本はAmazonnoのジャンルとしては「教育学」「ノンフィクション」に分類されていますが、著者が本の冒頭(はじめに)で述べているように、”息子や友人たちの中学校生活の最初の1年半を書いたもの”であり、子育てエッセイと言っても良いのかもしれません。

この本には、人種、国籍、ジェンダー、貧富の差、家庭環境などに関する話題がたくさん出てきます。一般的には、繊細で、複雑で、重いテーマだと思いますが、この本では不思議と軽やかに風通しよく、リアルな日常が描かれています。

軽やかではあるけれど、軽くはない。その絶妙なさじ加減は、著者のブレイディみかこさんが息子さんに対しても、読み手である私たちに対しても、「こうあるべき」を押しつけていないからこそ成立しているように感じます。

自分の子どもに対しても、「これが正解」と親の立場で答えを与えるのではなく、「私はこう思うけど、あなたはどう思う? どうしたい?」という立ち位置で接しているのは、息子さんを一人の人間として信頼しているからではないでしょうか。

こうしたら、ああしたら・・・・・・と、つい娘に口うるさく言ってしまう自分をちょっと反省しました。(「子どものためを思って」「良かれと思って」は言い訳ですね、ハイ。)

そんな本なので、これから読む人に私の感想を押しつけたくはありません。でも、1つだけ特に印象に残っているところを紹介します。

5章「誰かの靴を履いてみること」に、息子さんの中学校の試験で『エンパシーとは何か』という問題が出たエピソードが登場します。(p.73)。empathyは日本語では「共感」、「感情移入」または「自己移入」と訳される言葉です。

ブレイディみかこさんのパートナーが

「ええっ。いきなり『エンパシーとは何か』とか言われても俺はわからねえぞ。それ、めっちゃディープっていうか、難しくね? で、お前、何て答えを書いたんだ?」

『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』 p.73より

と尋ねると、息子さんがこう答えます。

「自分で誰かの靴を履いてみること、って書いた」

『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』 p.73より

「自分で誰かの靴を履いてみること」(put oneself in someone’s shoes )は、だれかの立場になって考える、自分を誰かの立場に置いてみる、という意味の定型表現です。英語の授業で習ったことがあるかもしれませんね。

人種、国籍、ジェンダー、貧富の差、家庭環境など、たくさんの”違い”を持つ子どもたちが集う中学校で、”違いをなくす”ことは無理だし、そもそもそんな必要もありません。

違いはリアルに存在する。大切なのは、違いをなくそうとすることじゃなく、違いがあることを理解して、誰かの立場に立ってみること(誰かの靴を履いてみること)。

この”違い”は、言い換えれば”多様性”。生まれ持ったバックグラウンドだけではなく、ものの考え方、感じ方、何を選んで何を選ばないかも、多様性があってしかるべきです。

いま世界は大きな混乱の中にいて、いろいろな立場の人が意見や提案をしたり、窮境を訴えたり、警告や批判を発信したりしています。頻繁にアップデートされる情報をキャッチしようとすると、情報が洪水のように押し寄せてくると感じている人もいるでしょう。

私は「特定の人や団体の批判をすべきではない」と言っているのではありません。必要なときには声を上げることも大切だと思っていますし、たくさんの人が声を上げたからこそ実現した案がいくつもあることを知っています。

ただ、「○○はこうあるべきだ」「こんなのありえない、許せない!」という強い言葉のシャワーを浴び続けているとき、あるいは自分が発しているとき、「誰かの靴を履いてみること」を忘れそうになっていませんか、と思うのです。

通勤のためのマスクが手に入らず困っているときに、高齢者が早朝から並んでマスクを買い占めしていると聞くと、「許せない!」と瞬間的に怒りがわくかもしれません。でも、もしかしたらその老人には学校が休校になっていない喘息持ちのお孫さんがいるのかも。

(※もちろん、手持ちが足りているのにマスクを買い占める行為は良くないです。)

「このご時世に公園でお花見なんて、何を考えているんだ!」というツイートが正義感から出ていることは否定しません。

しかし、深刻な病気を抱えて来年の桜を見られない可能性のある人が、人のいない時間と場所を見計らって来ていたのだとしても、同じことが言えるでしょうか。

いまは不要不急の外出を控えて、家にいるのが大切なのは当然です。でも、何が不要不急なのかは、人によって違います。偶然見かけたどこかの誰かの行動を瞬間的に批判するのではなく、何か事情があるのかもしれないと考えられる想像力を忘れずにいたいです。

それが「誰かの靴を履いてみること」なのではないかな~と思っています。

『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』 は、こうしろ、ああしろと言う押しつけがない本です。人種やジェンダーについて考えるべし!とも言ってません。

だけど、ちょっと立ち止まって自分のことや子どものこと、社会のことを考えてみようと思うきっかけをくれる一冊です。こんな先の見えない状況だけれど、いまこの本を読めたことは意味があると思うし、高校生の娘達にも読んでもらいたいと思っています。

読書の秋ならぬ、読書の春。いま家にいる時間がたっぷりある人におすすめの一冊です。中学生以上なら無理なく読める内容だと思うので、休校中の子どもといっしょに読んで、感想を話し合ってみるのも良いかもしれません。

Amazon:ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー

楽天ブックス:ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー [ ブレイディ みかこ ]

どんな感じの筆致なのか(読みやすそうか)が気になる方は、以下の新潮社の特設サイトで4章分が全文公開されているので、まずはちょっと見てみると良さそうです。

新潮社『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』4章分全文公開