おかねのつかいかた

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「今月、お金使いすぎちゃってちょっとピンチだわ・・・」
なんていうときに、さらに他の出費が重なると、お金を使うこと自体に罪悪感を感じてしまうことがあります。

お金を使うことは、損をすること?
お金を使うことは、自分の持ち物(資産)を減らすこと?
・・・お金を使うことは、悪いこと?

誰しも、こんな風な思いを少なからず感じたことがあるのではないしょうか。
これはある意味では正しくて、ある意味では間違っています。

* * *

あなたが1万円の時計を買うとしましょう。
あなたはお財布から1万円札を抜き取り、お店の人にそれを手渡します。そして、時計を受け取ります。

一見すると、あなたは1万円の損をし、お店の人は1万円の得をしているようですが、もちろんこれは錯覚です。
そもそも、あなたは”その時計”を気に入って、”その時計”に1万円以上の価値があると判断したからこそ、自分の財布の中の1万円札と交換したのですよね。
1万円以上の価値がないと思えば、お金と時計を交換したりしないはずですから。
つまり購入時のあなたの心理状況では、”その時計”>1万円になっているのです。

だとしたら、1万円よりも価値のある”その時計”を手に入れられてあなたはハッピー、そしてお店の人も商品が売れてハッピーということになります。
「お金」というものが介在するから話はややこしくなるわけですが、この話の場合、もしあなたの日給が1万円なのだとしたら、あなたは”その時計”と、自分の一日の労働を交換したという見方もできるでしょう。

結局、何かを買うと言う行為は、その品物(あるいはサービス)に、値段以上の価値を見出しているからこそ、行う行為であるわけです。
自分が必要だと思うもの・欲するものが、自分にとってその値札以上の価値があると判断できないのであれば、それは正しいお金の使い方ではないのかもしれません。

たとえ世間一般の人にとってただのゴミとしか思えないような古本でも、もしあなたが貴重な書物であると判断するのであれば、たとえその本が何万円しようとも、あなたにとっては買う(=お金ととりかえっこする)価値のあるものということになります。
逆に、10万円の宝石が、バーゲンで2万円で売られていたとしても、あなたがその宝石と現金2万円とを取り替えたいと思えないのであれば、買うべきではないのでしょう。
(2万円で買って、4万円で売って、その利ざやを取るという考えは置いておきます。)

資本主義社会で品物やサービスの値段を決めるのは需要と供給のバランスですが、私たち個人がお金使う際に意識しなくてはいけないことは相対的評価ではなく、絶対的評価。すなわち、自分の中に存在する、自分だけのものさしを使って、その品物やサービスの価値を推し量ることでしょう。

Myものさしで、値段以上の価値があれば買う。値段ほどの価値がないと思うのであれば買わない。実にシンプルなこと。でも、そのときの感情や、懐具合や、いろいろな要素で、このシンプルなことが実践できていないのも、また人間だと思うのです。
できることなら、・・・私は自分自身のものさしを信じてお金を使いたい。

最後にひとつ、私の好きな言葉を紹介します。

『かしこい節約とかしこい贅沢は、まったく同じもの。
私たちのお金は、安物を買うほど ありあまってはいないのです。』

(中山庸子著『自分の運命を動かす言葉』