ごめんなさい、もしあなたがちょっとでも行き詰まりを感じているなら、不便をとり入れてみてはどうですか?

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不便益という発想~ごめんなさい、もしあなたがちょっとでも 行き詰まりを感じているなら、 不便をとり入れてみてはどうですか?

インプレスより『ごめんなさい、もしあなたがちょっとでも行き詰まりを感じているなら、不便をとり入れてみてはどうですか? ~不便益という発想~』(川上浩司著)という書籍を提供していただいて読みました。

(※染谷昌利さんの運営するサービス・ブロガー(発信者)と出版社を繋ぐ「ギガ盛りUnlimited(β版)」経由でいただきました。)

ちょっとびっくりしちゃうような長いタイトルで、このブログ記事のタイトルにもタイトル全部を入れられなかったほどなのですが、この長いタイトルこそが、本書の提案する「不便益」という発想を体現しています。

便利であること、手間がかからないこと、時間がかからないこと、効率がよいこと。

これらは今日の社会では「良し」とされ、価値があることとみなされていますが、こうした利便性を追求していくと、どこかで「行き詰まり」を感じる瞬間がありませんか?

便利さを追求するあまり、不便さの中にあったはずの新しい気づきに出会えない。効率の良さを追求するあまり、失敗から学ぶ機会が減ってしまう。役に立たなければ…の気持ちがいきすぎて、役には立たなくても意味があるもののを見落としてしまう。

もしこうしたことを、仕事面であれ、子育て面であれ、生活面であれ、ちょっとでも感じているのなら、この本の中に何らかのヒントを見いだせるかもしれません。

「昔はよかった」的な懐古主義ではありません

こう書くと、「高度に発展してしまった現代社会を抜けて、昔の生活に戻るべし」という意味に誤解されるかもしれませんが、本書の提案はそうしたものとは違います。

単線的に手間を省くことを便利と呼び、これを求めるだけではいけない。

これは本書のp.26の見出しになっている言葉なのですが、便利であることを究極的な目的にしてしまうことで何らかの行き詰まりにであってしまうのであれば、あえて不便であることをとり入れてみてはいかがですか、というのは本書の主張です。

「甘栗むいちゃいました」という消費者の手間を省いた便利なお菓子を販売するメーカーが、「ねるねるねるね」という消費者にわざわざ手間をかけさせる商品を販売しているのはなぜか。

あらゆる移動経路に段差がなく、手すりのあるバリアフリーが、どうしてそこに住むお年寄りの体を鈍らせるのか。

足で漕がないといけない車いすCOGY(コギー)が、使う人にとっては楽ではないのに楽しいと言われるのか。また、リハビリ効果まで現れるのか。

「ウォーリーを探せ」という面倒で手間のかかる絵本がブレイクしたのはなぜか。

本書ではこれらの事例を挙げながら、便利と不便、楽(ラク)と楽しいの違いについて、丁寧に説明がされています。

不便益という発想から「次元の違うものさし」を手に入れる

現代社会のものさしからは「不便」と思われがちなことに「益」を見出すの、「不便益」という発想。

本書は「こんな不便な生活をするといいですよ、すべきですよ!」と押し付けるものではなく、あえて不便を選ぶことで、それまで気づかなかったことに気付けるかもしれませんよ、という提案をしてくれています。

利便性や効率にとらわれがちな人が読むと、ハッとすることが多いように感じました。

希望的に観測すれば、本書を読み終わる頃には、不便益という、これまでの常識とはまったく違うものさし(物事を見る視点)を身につけていることでしょう。

自分の中にものさしをもう一つ持つということは、それだけ世界を多様に見ることができるということであり、つまりは、仕事も多様に多元的にできるようになるということです。

(『ごめんなさい、もしあなたがちょっとでも行き詰まりを感じているなら、不便をとり入れてみてはどうですか? ~不便益という発想~』p.6より引用)

自分の中にものさしをもう一つ持つことができたら、人生により多くの楽しいことを見つけられるような気がしませんか。

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