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「お母さん、母の日だからいちごのゼリーを作ってプレゼントしようと思ったんだけど、ゼリーが全然固まらないの…。もう3時間も冷蔵庫に入れているのに。」
昨夜そろそろ寝ようかという時間に、娘が悲しそうな顔でそう言いました。
夕食後にみんなで母の日のお祝いにいちごゼリーを食べようと、夕方私が買い物に出かけている間にがんばって作ってくれていた様子。夕食後、何度も冷蔵庫をのぞきにいっているなぁと思っていたら、固まらないのを心配していたのでした。
娘は図書館でお菓子の作り方が載っている児童書(※レシピ本ではなく、物語の途中にレシピが登場する児童書)を借りて、レシピのページをコピーしてノートにスクラップし、それを見ながらゼリーを作ったようでした。
しょんぼりとしている娘に「明日の朝になったら固まっているかもしれないから、今夜はもう寝ようか。一生懸命作ってくれてありがとうね。」と伝え、ふとんへ行かせてから、「さて、どうしたものか?」と頭を抱えました。
ゼラチンがダマになって固まってしまってました。
Facebookで状況を伝えアドバイスを求めたところ、お菓子作りに詳しい友人たちによれば、「水にゼラチンを入れるのではなく、ゼラチンに水をふりかけているのがダマになりやすい」、「ゼラチンに水をかけたあとレンジで加熱しているけれど、加熱しすぎると熱変質してゼリーが固まらなくなる」というあたりが原因のようでした。
(でも、どちらも児童書のレシピにはそう書かれていたので、これはレシピがよくなかったような気がします。)
お小遣いでゼラチンやいちご、ゼリー型まで買って頑張ったのに、ゼリーがいっこうに固まらないのを見て肩を落とす次女を見て、私は自分が小学生のときのできごとを思い出しました。
もくじ
小学生のとき、祖母にがっかりされた記憶
私も娘と同じように、小学校高学年のころお菓子作りが楽しくて、敬老の日、張り切っておばあちゃんに白玉団子をこしらえたことがあったのです。
丁寧に白玉粉をこねてお団子を作り、茹でて冷水にとり、黄な粉に砂糖とちょっぴりの塩を混ぜたものをふりかけて、自分では「完璧!」という状態の白玉団子を作り、農作業の合間の祖母のところに持って行きました。
祖母は、「おいしかりそうだねぇ(おいしそうだねぇ)!」と嬉しそうな顔をして白玉団子をひとつ頬張ったのですが、突然それを口からチリ紙に出し、「なんだ、生煮えじゃないか。こりゃあダメだねぇ。」と言ったのです。
今になってみれば、祖母に悪気があったわけではないことはわかります。
でも、当時の私はそれがものすごくショックで、その後かなり長いことその記憶を引きずりました。
人をがっかりさせることに対する恐怖心
私が「人をがっかりさせること」、特に、「楽しみにさせておいて、期待を裏切ってしまうこと」に対して、異様に恐怖心を覚えるのは、子ども時代のこのできごとが原因のひとつだったと自己分析しています。
自分がしたことや作ったもので人が喜んでくれるのはものすごく嬉しくて、幸せ。でも、逆に、がっかりさせてしまったら、「自分ってなんてだめなんだろう。」と、その出来事だけでなく、自分の人格や能力までも否定してしまう・・・。
これは、少し生きづらい傾向だなと思います。
失敗しても、そのひとつの出来事がうまくいかなかっただけで、私自身がダメとか無価値とかいうことではないのに、なぜかそんなふうに勝手に思いこんで、凹んでしまうよくないクセ。今では少しマシになりましたが、疲れすぎていたり弱っていたりすると、やっぱりその傾向がでてしまいます。
子どものころにショックだった言葉って、大人になっても覚えているものなんですね。大人と子どもは生きている(見えている)世界の大きさが違って、家族や友達が世界のほとんどすべてなので、その家族や友達からの否定(のように思える言葉)は、大人が思う以上に影響が大きいのでしょう。
失敗は失敗でしかなく、人間の価値は別のところにある
「手作りゼリーがうまく固まらなかった。」
それだけの出来事を、次女が「単なる一つの失敗」ではなく、「お母さんを喜ばせられなかった私はなんてダメなんだろう」と思ってしまったら、私は悲しいです。母の日にゼリーを食べられなかったことなんかよりも、ずっと。
だから、「いっしょうけんめい自分ひとりで作ろうとしたこと」「いちごを上手にカットできたこと」を認め、「お母さんを喜ばせようとしてくれたことが嬉しい。」と感謝を伝えました。
そして、「今回はレシピがいまいちよくなかったみたいだから、今度いっしょにちゃんとしたお菓子作りの本を買いに行こうね。そしたら、余っているゼラチンでまたゼリー作ってね。」と。
認められたり感謝されたりすることは、ひとが喜びを感じたり、自己肯定感を持つために必要なことだと思っています。大人もそうですが、子どもにとってはなおさら。
「すごいね!」「よくできたね!」よりも、「助かったよ。」「ありがとう。」
言葉に出していうことが、どんなに大切なことか。
我が家は、現在長女が中学1年、次女が小学6年になり、基本的な身のまわりのことは自分でできるようになりました。特に、長女は体が大きいこともあり、半分大人のように感じるときもあるくらいです。
でも、まだまだしっかり向き合う必要がある年代。手を出せなくても目は向けて、子どもが子どもなりにやっていることを認め、感謝の言葉をかけていこうと再認識することができた母の日でした。
母の日、ありがとう。